京都市左京区岡崎での撮影会は、京都・岡崎「百人百景」実行委員会の主宰によって2012年3月4日の日曜日、10時から16時30分にかけて136人が参加して実施された。
参加者は、ウェブサイトや京都市内の大学、ギャラリーなどで配布したチラシ、それにツイッターやフェイスブックなどで知った人たちで、参加申請はウェブサイトで受けつけ、これに3人の招待作家が加わった。
ISO1600の高感度カラーフィルムとストロボを搭載した「写ルンです」を富士フイルム株式会社に提供いただき、参加者全員に配布。現像も同社。
撮影対象は制限しないが、地域はおおむね北は丸太町通から南は三条通まで、東は白河通から西は鴨川までの岡崎一帯に限定した。
岡崎の歴史と魅力的な遺産や資産を紹介する資料を当日に配布。撮影開始前に、これをもとに岡崎の歴史を簡単に解説するとともに、文化施設や疏水以外のほかに多彩な自然、建物、文化があることを紹介。
総合地球環境学研究所教授。1954年、静岡県袋井市に生まれる。東京大学建築学科卒業後、中国清華大学に留学。工学博士。ソウル国立大学客員研究員、東京大学生産技術研究所教授などをへて現職。専門は、アジア都市・建築史、まち環境文化遺産保全学、まち環境リテラシイ。第15回大平正芳賞(1999年)、社団法人日本建築家協会ゴールデングローブ賞2011特別賞などを受賞。
おもな著書に『上海‐都市と建築』、『中華中毒』、『シブヤ遺産』などがある。
日本を含む東アジアには、一つの景色を多面的に、あるいは多数の景色を一つの視点で見る伝統がある。この大本となったのは、10~12世紀のころ中国で流行した洞庭湖の風景を山水画に描く瀟湘八景(しょうしょう はっけい)である。瀟湘は八つの名所のある風光明媚な水郷地帯として知られ、山水画の伝統的な画題ともなった。この様式は朝鮮半島やベトナム、日本へと伝播した。とりわけ日本では江戸期に開花し、19世紀半ばの葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』に連なったことは、よく知られている。人、自然、建物、大地などが異なった姿で切り取られ、魅力あふれる絵筆で描かれている。
2012年3月4日、私たちは京都市岡崎地区で2人のプロカメラマンと、134人のアマチュアカメラマンが、各人27枚の写真を使い捨てカメラで撮影するイベントを開催した。このとき撮影した3600枚を超えるまちの写真の一部を解説・解析しているのがこの本である。この企画は、東アジアの千年が培ってきた豊かな視線と絵筆の伝統を背負うものでもあった。多くの瀟湘八景が描かれたその時期、京都の東側の岡崎の地では武家の邸宅や仏殿や塔が建ち並んでいた。この地はやがて荒廃して田畑となるが、19世紀末にふたたび勃興する。琵琶湖から運河が引かれ、平安神宮が造られ、動物園が開園した。明治の元勲や商人が名園を営み、やがて美術館や博物館が林立する異空間となった。
水、緑、公共建築、小さな祠、コミュニティ、町家、洒落たレストラン等々が拡がる現在のこの場所に、136人が小雨の降るなかでカメラを携えて半日を費やした。2キロ×1キロの限られた範囲であっても、その視線も、歩くルートも、人それぞれだった。江戸の富士山のような名所はないが、京都を取り巻く山々は136人を見守っている。由緒ある京の寺社仏閣も所狭しと並んでいる。
写っているのは、目に見えるものだけではない。春の兆し、記憶、虚無感、幸せ、そういう岡崎の日常と非日常の一切合切が、カメラですくい取られて写真となった。この3600枚は、千年の東アジアの視線の末裔であるだけではない。これから訪れる千年後のサステナブルなまちの未来を構想する手立てともなる。地球環境と都市を研究する主催者の私は、27枚のすべての写真のなかで逆立ちしながら、そう考えた。
村松 伸
「百人百景」の実施概要
古都のまち環境をカメラで切り取る
村松 伸
京都の「近代」を詰め込んだ岡崎
中川 理
岡崎マップ
岡崎のおもな構造物
私の見つめた岡崎
土田ヒロミ、淺川 敏
表彰作品
土田賞 淺川賞 地球研賞
136人が見つめた「2012年3月4日」の岡崎
岡崎百人百景と「まち環境リテラシイ」
村松 伸
座談会 「百人百景」を振り返る
寡黙で雄弁な27枚の写真たち
鞍田 崇+林 憲吾+松隈 章+村松 伸