晩恋
映子と爺のラブメール

表紙
若かったころのあなたが心を交わした人に今、伝えたいことはありませんか
  • 高橋映子+宮原一武 著
  • 発行 京都通信社
  • 装丁 中曽根孝善
  • B6判 384ページ
  • 定価 1,800円+税
  • 2017年7月7日 発行
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京都で生まれた初恋が、半世紀をへて晩恋へと飛び火した
——美人アナウンサーと元大学教授のラブストーリー

 2014年11月21日。10年ほど前に私が書いた本を出版してくれた出版社から、一通の便りが届いた。「何かの広告だろう」と思って開けてみると、なんと50年前に私を振った彼女からの手紙である。大きな悦び、嬉しさ、そして、「よかった、彼女は元気に生きていた」という思いが爆発した。

(プロローグより抜粋)

長野で生まれた男と愛媛で育った女とが京都の大学で出会い、恋に落ちた。
やがて男は東京で働きはじめ、女は地元放送局に就職した。
いつしか人生の終末期を迎えて、男のもとに一通の手紙が届いた。
女は離婚して独身、男は不可分の伴侶を得ていた。それでも一気に青春時代に戻った。
別々に歩んだ半生を振り返りつつ、男は一つの答えを求めていた。

なぜ、二人は別れなければならなかったのか。
そこには一途な男を見守るクリスチャンの妻がいる、
互いの家族もある

目次

プロローグ

  • ありがとう! そしてごめんなさい
  • 結婚したよ、でも離婚しちゃった

二人の物語、ふたたび

  • 映子さんを京都に招待します
  • それぞれに歩んだ空白の時間
  • 緊急! ドクターストップです
  • 半世紀が過ぎていたのですね
  • 游子と一武の半世紀

それは同志社ハワイ寮から始まった!

  • あなたの写真、あなたの声が……
  • 美しい過去と現実
  • 一武の仕事とテニス
  • 今度こそ京都においで
  • 聖書・讃美歌に、高橋真梨子・レゲエ音楽
  • 恵方巻にピスタチオ、それに……

愛と聖書と教会、そして牧師と宣教師

  • 英米人との英語生活——それがアルバイト?
  • 映子さんに、愛をこめて
  • 愛に時効はある?

愛がつくる亀裂と闘いのなかで

  • それぞれのグリーフ・ケア
  • 游子さんの愛の姿と苦しみ
  • 男と女の記憶と感性の違いはなぜ?
  • 私たちのこと、本に残しませんか
  • ブレーキをかける心房細動という病
  • 堂々と楽しく生きてゆくこと、教えます
  • 心を解き放ってくれる「アメージング・グレイス」

愛のある穏やかな日々のために

  • 新たな一歩を踏み出したい
  • 母なる映子さん、人間としての映子さん
  • それぞれの冒険人生を糧に
  • なにを、どこまで白日の下にさらしますか
  • 一武の半生を動かした「名古屋」
  • こんな病につきあうのは、もう嫌!
  • あめのみ糧もて、力を与えませ

エピローグ

  • 映子のひとりごと
  • 爺のひとりごと

おわりに

著者紹介

高橋映子

 1941年、福岡県に生まれ、すぐに父の待つ中国の北京に。1945年、父母と共に引き揚げ船で天津から帰国。福岡県朝倉市の母の郷里に寄留。やがて父の郷里・愛媛県松山市に。父の転勤に伴い福岡、札幌、熊本と7度の転校。熊本大学付属中学、熊本県立第一高校に通うものの、父の起業にともない松山東雲高校に。同志社女子短期大学卒業後は松山市の民間放送局のアナウンス部入社。24歳で結婚退社して家事に専念。26歳で長女誕生。このころ、離婚につながる要因が噴出。元上司の要請によりラジオ番組を担当。30歳で長男が誕生し、ふたたび主婦業に。34歳で再度、講師、司会等々に携わる。長年の起伏の末、48歳で別居、52歳で離婚。「トーク プラネットオフィス」を主宰し、フリーアナウンサーとして司会、講師、ナレーターとして活動するとともに、「プロ養成講座」等の教室を運営。多数のプロを輩出。自立の道を模索する中、網膜剥離などを罹患するが、優秀な医師と巡りあい失明を免れるものの、劇症の心房細動を発症。20年余りの我慢を経て重度の大動脈弁狭窄症と診断される。2015年秋に開胸手術を受け、翌年3月退院。仕事、生きがいの全てを手放した心境の中でインターネットラジオ局「ゆめのたね放送局」に出会う。2016年11月から「おしゃべり惑星☆トーク プラネット」で、パーソナリティを務める。起伏に富んだ道程をよくぞ歩いたものと思うが、乗り越えてきた壁が今の私を育てたと自覚する。終わりの日まで、その先の命までも見据えて生きたいと願っている。だから、私は「今日も林檎の木を植える」(マルティン・ルター)。

宮原一武

 1935年、長野県に生まれる。17歳で大学入学資格検定合格、近江絹糸紡績(株)に約1年、陸上自衛隊松本部隊に4年勤務したのち、23歳で同志社大学商学部に入学。現在のニチコン(株)に2年間勤務したのち同志社大学大学院商学研究科修士課程に。在学中の29歳で古津游子と結婚。平安女学院短期大学に勤務(8年)しながら、33歳で同志社大学大学院博士課程単位取得。その後、神戸市外国語大学に26年間勤務。現在は同大学名誉教授。この間、イースタン・ケンタッキー大学客員教授(1993年)、国際比較文明学会理事(1993~1996年)などを務める。専攻は貿易論と比較文明論。著書に、『国際ビジネスコミュニケーション』(1995年、糺書房)、『文明の構造と諸問題』(1998年、近代文芸社)、『女性主導文明が未来を救う』(2004年、文芸社)などがある。共著に、『21世紀へのアプローチ』(1989年、学生社)、『この国を憂いて』(2002年、キリスト新聞社)、『地球時代の文明学』(2008年、京都通信社)などがある。2015年10月には、傘寿と金婚式を記念して京都から津軽半島先端の竜飛岬までの往復約2700キロを7日間で単独走破。愛車はトヨタ・ケンタッキー工場製の1994年版の「アバロン」。